感動のイスラエル10日間 (3月4日発)
14年ぶりのイスラエルだった。
1995年、パレスチナとの和平に貢献したラビン首相が暗殺された直後にイスラエルツアーを催行した。その翌年からイスラム原理主義者のテロが続いて、イスラエルに行けなくなった。
外務省が危険度を下げてからこの3,4年急にイスラエルの人気が高まっている。3月のベストシーズンにはウズベキスタン航空は満席になる。昨年も計画はしたが飛行機の席がとれそうにもないので断念し、今回は半年前からイスラエルに行く計画をたて12月にはもう人数がそろっていた。
ガザ攻撃が始まって
ところが12月27日にガザ攻撃が始まったのである。やれやれ、私のツアーはいつも出発前に何か起こるのだ。12月は南インドの予定だったが11月末にムンバイのタージマハルホテルが襲撃された。それが落ち着くとバンコク空港が閉鎖になり、出発の一週間前までほんとに飛行機が飛べるのかわからなかった。
その苦難を越えて訪れた南インドはとてもよかった。事件の直後はホテルも飛行機もすいているし、警備は行き届いているし、ムンバイの港は物売りもモノ盗りもいない。平和な光景だった。ホテルの窓は一部黒こげだったが。
ガザ攻撃もそんなに長く続くものではない。絶対に行く。ただイスラエル国民の9割が攻撃を支持しているという。ガザ攻撃に反対するためには世界中の観光客はイスラエルのツアーを中止するべきだ、と思ったが、ホテルもガイドも飛行機も全部とれた。今こそチャンスだ。村上春樹も表彰式に出席したのだから、やっぱり行こう。旅に「こんど」はない。こんどいつ行けるかわからない。
3月4日、13名のお客様と出発した。
イスラエルという国
テルアビブの空港には日本人ガイドのルツさんが迎えにきていた。テルアビブを出るとまっすぐカイザリアに向かう。途中でパレスチナ人地区を通過する。あれ、パレスチナ人はガザとエリコだけに住んでいるのではないのか。
イスラエルの面積2万㎢、四国ほどの大きさの国土に700万人が住んでいる。180万人はパレスチナ人だ。
運転手のサリームさんはパレスチナ人。パレスチナ人でもイスラエルの国民としてふつうに仕事している人はたくさんいる。彼は子供の頃ガザにいたが、ガザの海岸は世界一美しいのだと悲しそうに言う。
ルツさんの言うには、テレビではイスラエルの攻撃のことばかりだけど、ガザからしょっちゅう玉が飛んで来てる。自爆テロやると家族が一生困らないくらいのお金をもらえるんだから、自爆しているのは貧しい人ばかりよ。
イスラエルはダイヤモンドの研磨で有名だが近年はIT、ハイテク産業の伸びがめざましく、農業もふるっている。食料自給率93%。そして観光も重要な産業のひとつだ。
なんでイスラエルなの
「イスラエルに行く」と言うと必ず「なんでそんな危ない所に」と言われる。世界中に危ない所はいくらでもある。ただニュースになるかならないかだけのこと。
イスラエルに関してはテロとか戦争のことばかりがニュースになり、花が美しいとか遺跡が立派だとかはニュースにならない。
テロが続いても世界中のクリスチャンが聖地巡礼にやってくる。聖書の世界がそこにある。ヨーロッパの教会や美術館で見た数々の名場面、キリストの磔刑、受胎告知、カナの結婚の現場がそこにある。旧約聖書、新約聖書がイスラエルの最良のガイドブックだ。イスラエルを見ずに西洋を語れない。
ギリシアやローマの遺跡が好きな人はやっぱりイスラエルに行きつく。シーザーの作ったカイザリアには水道橋や円形劇場があり、ベティシャンにはローマ時代の列柱が並び、ローマによって滅びたマサダの要塞も必見だ。
イスラエルは自然の宝庫だ。ヨーロッパとアフリカへ飛行する渡り鳥の中継地点なのでバードウォッチャーの憧れの地だ。春になると野の花がいっせいに咲く。
我々はガリラヤ湖の北にあるフーラ渓谷を訪れクロヅルをたくさん見た。自分達で電気自動車を運転して湖を周遊しながらバードウォッチングを楽しんだ。2月下旬に大群をなしてヨーロッパに飛んでいくそうだ。
死海で若返る
エンゲディで死海体験。エン・ボケクのリゾートホテルやヨルダン側でも死海に入ることはできる。でもエンゲディで死海につかるのが最も楽しい。
昼食をすませると、水着に着替えて泥ため場に行く。全身に泥を塗って泥パック。泥人形のごとく顔から足まで泥を塗りたくる。泥の成分でちょっときれいになったかしら。お肌はともかく泥んこ遊びで精神的にはすっかり小学生の気分に若返ったのは確かだ。まず記念撮影。
そこのお兄さん達も一緒に入ってぇ。イスラエルの大男達と肩を組んで一緒に足を上げて、カシャ!
そしてかわいいトレインに乗って死海に出る。
わーい、わーい。ほんとに浮く。顔を水につけてはいけません。10分以上漬かってはいけません。絶対に飲んではいけません。はーい。はーい。

シンクロ選手のように仰向けになって思い切り足を上げる。大股を広げる。
塩分でカメラが壊れてはいけないので、みんなカメラはバスに置いてきた。貴重品はルツさんが温泉のロビーで番してくれている。私のデジカメでパチパチ撮影する。
その後は温泉プールにつかり、さんざん楽しんで服に着替えた。
死海盗難事件
さあ、ホテルまで30分。駐車場に戻ってビックリギョーテン!!!バスの窓が2枚割られて車内にガラスが飛び散っている。
ない!カメラがない!とお客様が叫んだ。座席に置いた私の一眼レフのデジカメもない。
カメラが数個と袋とかバッグの類もいくつかなくなっていた。私のポテトチップは無事だったが、手荷物カバンが消えてしまった。
警察が来るのを待って、一緒にホテルに行き、被害にあった人はそれから派出所に調書を取りに行った。せっかくの死海体験が悪夢に終わってしまった。
カメラの損害は保険請求できるが、メモリーカードが消えてしまったので、フーラ渓谷の鳥の写真は一枚もない。メモリーがないと旅行の記憶も消去されてしまったような気がする。私のカバンの中には携帯電話が入っていた。その携帯は海外では使えないけど中に仕事に必要な電話番号がすべて入っていた。困ったぞ。
ヨーロッパでバスの窓が壊されるのはたまに聞くが、イスラエルでは初めてだ。イスラエルでは盗難にあったこともなかった。
ネゲブ砂漠を走る
翌日は気を取りなおしてマサダの見学。そしてネゲブ砂漠に向かった。
ミッペラモンのレストランで3台のジープに乗り換えて走り出すと野生のヤギ、アイベックスの三兄弟が出てきた。我々の車を見て困った顔した。かわいい。

岩漠、砂漠の世界に入っていく。途中で車を止めてドライバーのチーフが解説してくれた。ヒュー。すごい風で砂が舞う。我々は帽子をかぶってマスクをし、合羽やジャケットを着込む。そこは2000年前香料と香辛料を運ぶ道(スパイスロード)として栄え、ヨルダンのペトラまで続いていた。アンモナイトが出る地層があった。隊商宿もあった。その頃は乾燥していなかったのだろう。ジープはごとごとと岩山を登り、クレーターの中へ下り、どんどん奥地に入っていった。
大きな岩の割れ目の前に車を止めて歩いた。大きな岩の間を抜けて歩いていくとその奥にはまた岩山が続いている。大きな岩の上に登る。子供が喜びそうな天然の遊び場だ。おばあさんになっても岩場は楽しい。
ドライバーが岩陰でコーヒーを沸かしてくれた。ふー。まだ空は明るいのに月が出ていた。その晩は星を見ようと思ったが、夕食でワインを飲みだしたら星のことなぞすっかり忘れてしまった。
西の壁のトンネル
エルサレム。朝7時半に西の壁のトンネルに入る予約がとれた。朝は気持ちがいい。紀元前20年にヘロデ王が大改修したエルサレム神殿(第二神殿)は紀元後70年にローマによって破壊された。唯一残ったのが西の壁(Western Wall)である。1997年にその壁の下に通路が発見され、今エルサレムで最も人気の観光スポットだ。
トンネルの中には小皿のような帽子(キッパ)をかぶった男が椅子に腰掛けて本を読んでいた。第二神殿の模型を見て女性のお祈り所を通る。難しい顔をした女性達が壁に向かってぶつぶつ言っている。どの人もムズカシイ顔をしている。どの人もビンボー臭い服やコートを着ている。どの顔も変だ。うつろな眼をしている。
壁と壁の間の通路は一人歩くのがやっとで、前の人のお尻ばかり撮りながら歩いた。不思議なところだった。
地上の「西の壁」(嘆きの壁)では男女に分かれてお祈りをしている。私は女性のお祈り所に行ったがどの女性もみなやっぱりムズカシイ顔をしていた。そしてビンボー臭い服やコートを着ていた。
正統派ユダヤ教徒の男性は山高帽をかぶり黒いコートを着ている。夏はどんな服になるのかしら。髭もじゃ、あるいは三つ編みのおさげ。メガネをかけている人が多い。

車窓から正統派ユダヤ教徒のファミリーを何組も見た。正直なところあの人達とお友達になるのは難しそうだ。私の父がユダヤ教徒でなくてよかった。彼らのお宅拝見できなかったのが残念だ。
エルサレムは宗教のチャンプルー
神殿の丘に上がった。アブラハムが息子イサクを生贄に捧げようとした岩がある。預言者ムハンマド(マホメット)がここから天馬に乗って昇天したという。イスラム教の聖地でもあるからややこしい。16世紀に岩を囲むようにして作られた岩のドームは中には入れない。(14年前には靴を脱いで入場できたが、マホメットの足跡があるという肝心の岩がどこにあったのかとんと覚えていない。)
エッケホモ教会から十字架を担いだ男が出てきた。その仲間と神父さんがぞろぞろ続いて出てきた。イエス様のように十字架を背負ってビア・ドロロサを歩くのだ。その終点にはかつてのゴルゴダの丘があり、聖墳墓教会が建っている。世界中のクリスチャンの聖地だ。カトリックもプロテスタントも集まってくる。
観光客のほとんどはキリスト教徒だ。ビア・ドロロサの通りで店を構えているのはアラブ人で、マリア様やイエス様グッズを売っている。
ニューヨークは人種のサラダボールと言われるが、エルサレムは宗教のチャンプルーだ。ユダヤ教とイスラム教とキリスト教をごちゃごちゃに炒めた町だ。ゴーヤを白いワタを取り出さずに輪切りにし、乱切りにしたニンジン、みじん切りのタマネギをオリーブ油で炒め、塩と砂糖と唐辛子で味付けした得体のしれない料理だ。見た目がきれいだが苦いのか辛いのか、さっぱりわからない。
エルサレムはインターネットやテレビの番組を見ただけではわからない。実際に来てみるとますますわからなくなる町です。
オリーブ山から眺めるエルサレムの町は美しい。中心に金色に輝く岩のドーム。エルサレムストーンのバラ色で統一された家並み。青い空が包む。ここは「聖地」だ。ここに何かがある。パワースポットがあるのだ、きっと。
イスラエルのチーズ
14年前イスラエルにはおいしいものが一つもなかったが、今回は何でもそれなりにおいしかった。生活が豊かになった証拠だ。朝食に出るチーズがおいしかった。私は特にチーズが好きなわけではないが、毎朝クリームチーズとカテッジチーズを堪能した。おいしいチーズほど日持ちがしない。日本に持って帰れなかったことが残念だ。
イスラエルの道中牛は一頭も見なかったけど、これは確かにイスラエルで作られたチーズだ。次回は是非できたてのカテッジチーズを食べるために牧場訪問したい。
バザールでは干しぶどうと干しイチジクとナツメヤシをどっさり買ったので、我々のトランクは相当な重量になっていたはずだ。しかし誰も超過料金を取られずに無事に帰国できたのはまことに幸いだった。
パレスチナ難民に
参加されたお客様、パレスチナ難民のために服や物資を寄付してくださってありがとうございました。お預かりした物資ツ東エルサレム、ベタニア村の子供の家に贈られました。施設長サルメさんと30名の女の子達が住んでる施設です。

ラクダの乗って砂漠を散歩した
