Vol. 3 キューバのキュージツ

  1. 「ブエナビスタ・ソーシャルクラブ」から旅が始まる
  2. ハバナは50年代のアメ車の博物館だ
  3. ハバナの民宿
  4. ポトポ先生のサルサレッスン
  5. サンチャゴ・デ・クーバの憂鬱
  6. サンチャゴぶらぶら
  7. キューバの豚はうまかった
  8. キューバの一日は音楽で始まり,サルサで終わる

「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」から旅が始まる

cuba_001私が毎年キューバツアーを企画するようになったのは2001年の9・11テロのせいだった。仕事がないから添乗員も休日にするしかしょうがない。

まったく9月11日の同時多発テロのせいで添乗の仕事は次々とキャンセルになるし、ブッシュの報復攻撃が始まったら今度は日本に来るアメリカ人もキャンセルしたので通訳ガイドの仕事もなくなってしまった。

添乗員がじっと家にいると病気になる。電気やガスのメーターは上がるし、トイレットペーパーもどんどん減っていく。玄関のブザーが鳴り、返事をすれば宗教の人が立っておる。

「あなたは今幸せでいらっしゃいますか?」

うるさい。マクドナルドの店員のような明るい声が憎たらしい。家にじっとしているとロクなことない。

そうだ。今こそキューバへ行こう。昨年の春に映画「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」を見てからずっとキューバに行きたいと思っていた。私が「行きたい」と言うと「絶対に行く」のです。

私はキューバの田舎で馬に乗り、海辺でヘミングウェイの「老人と海」を読みながらのんびりするのです。

映画「ブエナビスタ・ソシアル・クラブ」を見ていただかないとキューバの話が進みません。アメリカの音楽家ライ・クーダーがハバナにやってきて昔活躍したミュージシャン達を集めてCDを製作した。その時のドキュメンタリー映画です。公園で鳩に餌をやって一日を過ごしていたよれよれの元ピアニスト、靴磨きをして暮らしていた元歌手、もう音楽はやらないんだと言っていたジイチャン達がだんだん元気になる。眼が輝いてくる。できあがったCDは世界的にヒットし、彼らはなんとニューヨークのカーネギーホールでコンサートを催し、大成功をおさめるのである。

キューバ共和国はカリブ海で最も大きな島で、本州の半分くらいの面積がある。カストロ政権の

社会主義国。マイアミから150kmも離れていないのに、アメリカと国交はないのでキューバへ入国するにはメキシコから入らなければならない。

 個人で旅行するのは添乗するよりも10倍ぐらいめんどうでたいへんです。社会主義の国でビザがいるらしい。いやツーリストカードはすぐ取れると聞く。「地球の歩き方」なぞ全然役立たず。英語のガイドブックを3冊読む。インターネットで検索するがたいした情報はない。レンタカーさえあればなんとかなるアメリカとは違う。

 ハバナだったら私も付き合うわと言うS子とメキシコを旅行するR美と3人で出発した。

10月23日成田発17:15のユナイテド航空でサンフランシスコへ飛び、乗り継ぐとその日の17:30にメキシコシティに着いた。ここまでは女3人の旅。メキシコシティで2泊してS子と私はキューバの首都ハバナへ向かった。

キューバのビザ(5000円)を日本で取得せずに、メキシコシティの空港で買ったツーリストカード($10)だけですんなり入国できた。

ページトップへ

ハバナは50年代のアメ車の博物館だ

ハバナに着いたとたんにラテンの空気がむんむん、心はルンルン。タクシーでホテルまで走る。運転手がキューバ音楽のカセットをかける。太陽がぎらぎら暑いけど、車の窓からさわやかな風を感じる。

「わ、アメリカ車よ。50年代の車ですって。昔の映画を見てるみたいだわ。」

S子は日本でスペイン語の通訳をしていてスペインにはよく行くが中南米は初めてだ。タクシーの運転手とずっとしゃべっていた。そして大事な事もどうでもいい事もその都度私に通訳してくれた。

ほんとに、でっかいアメ車が走っている。化石のような車がまだ動いている。車の好きな人は飛び上って喜ぶよ。

オールドハバナ地区。スペイン植民地時代の華麗な装飾の建物が並ぶ。壁はぼろぼろに剥がれているけど、味のある建物。これが絵になる風景だ。そこにぼろぼろのフォードのクラッシックカーが通る。これはビデオに撮っておきたい風景だ。

玄関口に浅黒い皺くちゃのおばさんが座っている。ピンクのシャツに半ズボン。ピンクの口紅がかわいい。

「ブエナス・ディアース」

と挨拶すると「オラー」と返事をしてくれた。S子が道を尋ねると喜んで教えてくれる。いい顔。そこへ黒い南京豆のような顔のオジサンが帰ってくる。これもすごくいい顔だ。

15世紀末にスペインからコロンブスがやってきて、この地はスペインの支配下におかれてしまった。もともと住んでいたインディアン達はスペイン人達に殺されたり、あるいは伝染病で死んでしまったので、さとうきびを作るためにアフリカから黒人が奴隷として連れてこられた。だからキューバ人は黒人と白人の混血が多くて、肌は浅黒い。白人の顔をした人もいれば黒人の顔もいる。たまに中国系、フィリピンのような人もいる。ここは全く人種による差別のない国らしい。

cuba_00219世紀半ばにはキューバは世界一の砂糖生産国になった。その頃は豊かだったに違いない。コロニアル(植民地時代)スタイルの建物が今も残っている。ハバナの1泊目のフロリダホテルはコロニアルの素敵な建物だった。

ページトップへ

ハバナの民宿

ハバナからバスで3時間のビニャーレスという風光明媚な田舎で2泊する予定だったが、雨ばかりで乗馬もできなかった。それでタクシーをチャーターしてハバナへ戻ってきた。

 私達は貧乏な旅行者なので民宿にお泊りすることにした。S子の友人が教えてくれた民宿はアパートの6階だった。

 キューバは1902年にスペインから独立したが、アメリカの軍政下におかれ、バティスタ政権は腐敗した。そこでカストロが革命を起こす。1959年のことだ。それ以来社会主義の国になりソ連の援助を受けていたが、ソ連の崩壊とともに援助はなくなり、国は外貨を稼ぐために観光に力を入れ始めた。一般の民家でも許可をとれば「民宿(カサ・パティクラール)」として外国人を泊めてもいいことになった。

 町の住居はすべてアパートメントで高層住宅になっている。マルガリータの家は6階建てのアパートの最上階でキッチンとダイニング、リビングルームのほかに4部屋あった。そのうち2部屋はシャワー・トイレ付で外国人旅行者に貸している。

 古そうなアパートだったが、中に入ったとたんにリッチな中産階級だとわかった。洗濯機、大きな冷蔵庫と冷凍庫、ラジカセとステレオのセット、食器棚やテーブルもちゃんとあった。私の部屋よりずっと立派だ。部屋代は一泊$20。

自由経済を一部導入することによって米ドルを持つ人とペソしか持てない人との間にどんどん貧富の格差が生まれつつある。キューバでは外国人は米ドルしか使えない。ホテルの支払いはもちろん、レストランもタクシーもドル払いである。

キューバ人1ドル=26ペソで両替できるのに外国人は1ドル=1ペソのレートで払わないといけない。だからキューバは旅行者にとって決して安い国ではない。ビールもコーヒーも1ドルだ。

キューバへ来るなら1ドル札をたくさん持ってきなさい。日本円はだめ。米ドルの現金です。

ページトップへ

ポトポ先生のサルサレッスン

バスの中で知りあったスイス人の女の子がサルサの先生の電話番号を教えてくれた。S子が電話してサルサを教えてもらう約束をした。

ポトポ先生は黒人の若い男の子だった。彼のアパートは我々が泊まっている民宿よりもずっとビンボくさかった。粗大ゴミに落ちているようなソファ、タンスがないのか一家の服はベッドに山のように積んであった。ただCDのデッキがあるのに驚いた。ここではCDはまだ普及していなくて一枚$15もする。彼のCDは全部ダビングしたCD-Rだった。

生徒はS子と二人だけ。先生はポトポとその友達。個人レッスンである。

まずは簡単なステップから。マンボ、ラテラーノ、ディアゴナル・・・教えたステップの名前をちゃんと紙に書いてくれる。なるほど、なるほど。サルサの曲がかかるとちゃんと踊れるものだ。

ウノ、ドス、トレス、ウノ、ドス、トレス・・・と2時間ステップを踏んでると汗びっしょりになった。

8つばかりステップを覚えたので即ディスコへ行く。ハバナで有名なライブハウス、カサ・デ・ラ・ムシカは4時から8時まで$2で入場できる。先生達はここの常連らしい。

入り口には若者達が大勢たむろしていて、中に入るとますます若い人がいっぱいで圧倒された。私達はどう見ても「オバサン」なのだ。若いもんが平日の昼間からディスコに来てなんというこっちゃと説教したくなる。

でも「オバサン達」を入れてくれるだけ感謝しなくっちゃ。我々は謙虚にならなくてはいけない。

1ドルのビールを買ってテーブルにつくとさっそく男が一緒に踊らないかと声をかけてくれる。ポトポ先生はいつの間にか群集の中に消えてしまった。

とりあえずサルサ、サルサ。バンドがめちゃくちゃうまい。夜10時からは入場料が$10になり、もっとうまいグループが演奏するそうだ。

「ねぇ、さっき習ったステップ全然役にたたないじゃないの。」

「いいのよ。腰振ってりゃ。」

「ちょっと休憩」と言ってテーブルに戻ると男もついてくる。ビールを買ってきてくれるという。私は男の分も払う。

「ねぇ、私達オバサンなんだからさぁ、ビールぐらいごちそうしないと一緒に踊ってくれないのよねぇ。安いもんだけどさ。」

やっとポトポ先生をつかまえて踊ってもらう。わ、私ってじょうず!(後でじょうずなのは先生で私は決してうまくないのがよぉくわかったのだが。)ステップを踏んでるうちに太ももがむずむずしてきた。いけない。財布を紐で首から下げてパンツにはさんで固定させていたのだが、中からクレジットカードや名刺が落ちてきた。ふくらはぎを通ってパンツの裾からカードが1枚1枚出てくる。

「モメンティート(ちょっと待って)。」

カードをひろってお腹の財布に戻しているうちにポトポ先生は消えてしまった。そしてブロンドの白人と踊っていた。

「ねぇ、あの女も結構な年よ。外人のお客はみんなオバサンばかりじゃないの。でも彼女はうまいわねー。ビールを何本貢いだらあんなに上手になれるのかしら。」

cuba_003

ページトップへ

サンチャゴ・デ・クーバの憂鬱

ハバナからクバーナ航空で東へ1時間半、サンチャゴ・デ・クーバへ向かう。S子はメキシコシティへ戻ったのでここから一人旅だ。それなのに飛行機はいつまでたっても飛ぶ気配がなく、それどころか飛行機はいなかった。

8:15発の予定だったが14:00発に変更だという。「ちょっと、英語でちゃんと説明してよ。」と怒ったら、イタリア人の坊やが英語で通訳してくれて「みんなで食事しようよ」と誘ってくれた。他の誰も怒っていない。スペイン人やキューバ人の家族とイタリア坊やと一緒にハバナクラブ(キューバ名物のラム酒)8年ものを空けて騒いでいたら、そのうちに飛行機が飛んでちゃんとサンチャゴに着いた。

町の中心のセスペデス広場に面したホテル、カサ・グランダの206号室。目がさめると雨だった。10月はまだ雨期らしい。起きるのもめんどうだがおなかがすいた。昨夜の夕食はまずかった。

Lonely Planet(英語のガイドブック)にポークがおいしいと書いてあったレストランに出かけた。レストランというのが笑っちゃう。建物の2階に上がってドアを開けるとテーブルが4つあり、壁に赤いカーテンがつるしてあって学芸会の舞台みたいだ。隣の部屋はその家の居間でおとうさんがテレビを見ている。ふつうの家の一部をレストランとして使っているのだ。

おかみさんがメニューを聞きに来る。7ドルの定食が4種類しかない。ポークは品切れだからマトンを食べろといわれた。絶対マトンを食べないといかんようなけはいだ。よく煮込んであって柔らかかったがあまりにも煮込みすぎで味が濃すぎる。この肉は誰も注文してくれないので一週間ほど鍋に漬かっていたのかもしれない。

付け合せのサラダは厚さ1mmのトマトときゅうりのスライスで朝から塩水に漬かっていたようなもの。パラパラの米。以上。ビールがとてもうまかった。(ビールだけはおかみさんが作ったものではなかった)私は「社会主義の国にいるんだ」と腹の底から実感した。それでもペレストロイカ以前のモスクワの食事よりもうんといい。

 だいたいこの町は暗くて気味悪い。ホテルからレストランまで徒歩2分の距離なのに、道で8人の男に声かけられた。「チーナ(中国人)?ハポネサ(日本人)?」何かくれとか、ネーちゃんお茶でも飲まへんけ、という類ではない。ただ挨拶しているだけかもしれないが、薄暗い街灯の下で黒い顔が突然声を出すからやっぱり気味悪い。

 でもホテルの向かいにある有名なライブハウス「カサ・デ・ラ・トローバ」で音楽を聞いていてすっかり気分がよくなった。海原お浜小浜のような女性二人のボーカルがうまかった。明日はコンパイ・セグンド(ブエナビスタ・ソシャルクラブでギターを弾いている95歳のジイサン)が出るからまた来てね、と店の男が言った。この店は世界的なアーティストがひょっこり現れて演奏することもあるらしい。

ページトップへ

サンチャゴぶらぶら

ホテル・カサグランダの朝食も社会主義的でパンもコーヒーもまずい。まずいコーヒーで始まる一日なんてロクなことない。

雨が上がったので町に出る。とりあえず博物館でも行くか。広場の前できょろきょろしていると薄汚い小男が声をかけてきた。

「アーユージャパニーズ? ホェア ドゥーユーゴー?」

英語らしき言葉で話そうとする努力はかってあげるが、私がどこへ行こうと勝手でしょ。でもスペイン語でどう言うのかな。無視して歩いていると小男もせっせと歩いてくる。私が止まると彼も止まる。

子供の声がする。学校らしい。そっと中を覗いてみる。小男が入り口の人に何か話をして私に入れ入れと促す。教室でざわついていた子供達がさっと着席して私を見る。

「ブエナスディアース!ソイハポネサ。(おはよう、私は日本人です)」

私のスペイン語はこれだけ。あとは小男が片言の英語で通訳してくれた。生徒が25人いて、先生は40人。先生はこの学校以外にも出かけて授業するらしい。キューバの子供達はほとんど学校へ通っている。午前と午後の二部制だ。浮浪者のような子供は見かけない。

小男は自動車のメカニックをしているがその日は仕事がないという。名前をエンリケといった。ずっと私の2,3歩後を控えめについてくる。近くに日本人の夫婦が住んでいるから案内するという。こんな所に絶対日本人は住むはずがない。でもほんとうだとしたらちょっと会ってみたい。きっとキューバ音楽にはまったミュージシャンに違いない。

この町は坂が多くてサンフランシスコか神戸みたいだ。いい運動になる。建物は古びていてかつて繁栄した時代の装飾がそのまま残っている。

cuba_005犬がベランダの柵に手をかけて立っている。目が合うとウォンと鳴いて尻尾を振る。キューバ犬は愛想がいい。

エンリケが案内してくれた家の主は中国人だった。「先史時代の博物館がある」というのでずっとついて行ったら革命の英雄の博物館だった。いいかげんなガイドだが、ただ旧市内をぐるぐる歩き回るだけで十分おもしろい。

「わぁコーヒーの香がする。コーヒーが欲しい。」と言うとエンリケは人の家に入っていっておばさんから挽きたてのコーヒーの粉を新聞紙に包んでもらってきた。

サンチャゴ・デ・クーバはキューバ音楽の発祥地だ

午後2時からサルサのレッスンの予約がある。S子の通訳がなくてもちゃんと電話で予約できたのだ。私のスペイン語もすごく上達したものだ。しゃべったことは「サルサ、バイレン(踊る)、レッスン、ポルファボール、エスタタルデ(今日の午後)、ドスオラ(2時)、OK?」後は相手が何を言おうとこちらはわからない。相手がOKというまで、同じ言葉を言い続ける。たとえ相手が都合が悪いと言っても、こちらが5回もドスオラ(2時)と言い続けたら、そうなってしまう。エンリケに先生の家を探してもらった。彼はとてもいいガイドになってしまった。

サックスの音のする家をノックしたら坊主頭の男が出てきた。サルサの先生はラファエルという。ポトポ先生も坊主頭だった。サルサには坊主が似合うのかしら。彼は英語をほとんど話さなかったが、とても親切丁寧に教えてくれた。大学の芸術学部でダンスを教えている。家族全員ミュージシャンでピアノやサックスがおいてあった。そしてダンコという名の愛想のいい黒犬もいた。

ラファエル先生は大学の先生だけあって講釈が多い。片言の英語を混ぜて熱心に語った。

キューバ音楽はサンチャゴ・デ・クーバが発祥地だ。キューバ音楽といってもいろいろある。ブエナビスタ・ソシアル・クラブの音楽はソンと呼ばれる類で、グァラーチャ、ボレロ、とにかくいろいろある。(授業料を払っているんだから早く踊ろうよ。)サルサはソースという意味でマンボ、チャチャチャ、ルンバなどいろんな音楽をミックスしたものらしい。だからそれだけステップの種類もある。5日間レッスンを受けたら一通り踊れるようになる。(私はそんなに暇はないのっ。)

レッスンが終わるとまたエンリケが現れた。下町のマーケットならCDが5ドルで買えるというのでついていった。マーケットというのはうす暗い一軒の店のことで古着のような服とかゴムひもなぞを置いていた。そしてCDが5枚ほどショーケースに入れてあった。せっかくですが、どれも要らない。

ぶらぶら歩いているとラッパの音が聞こえてきた。この店はレストランなのか。観光客が入るような所ではなかったが、エンリケがいるとどこにでも入っていける。カンカン帽のじいちゃんが歌いだした。

すごい。これ。ブエナビスタ・ソシアル・クラブの再現みたい。じいちゃんの声がすごくいい。マイクなどない。マイクなど要らない。胸にじぃーんとくる声だ。ビール1杯注文して座り込んだ。ラッパのじいちゃんも掛け合いで歌いだす。ベニスのゴンドラ歌手とは違う、ポルトガルのファドとは違う。うまい!!

「イブラヒム・フェレールよりもずっと素敵だ」と言うと喜んで私のテーブルに座ってまた歌いだす。感動感動感動、もう夕食なんかいらない。

cuba_004このじいちゃん達の演奏と歌はフェスティバルホールで聞くもんじゃない。この汚いレストランがぴったりあっている。えらいことだ。カメラは持ってない。彼らはCDも売っていない。ああ、日本に帰ってこのじいちゃんの歌がいかに素晴らしいかみんなにどう説明したらいいの。

とにかくハバナから往復$200の飛行機代をかけてはるばるサンチャゴまで来た価値があった。うれしい。急におなかが減った。エンリケがおいしいレストランがあるという。この町においしいものなぞ絶対ない!でもすっかり気分がよくなり、エンリケにもごちそうしてあげることにした。

ページトップへ

キューバの豚はうまかった

坂を上ったり下ったりしてついたレストランはまたまた民家の居間だった。今度はテーブルが1つしかない。まるまる太った特大豚のようなおかみさんが出てきたのでポークの定食を2つ注文した。そのダンナさんはカバのように肥えていた。

彼女の作ったポークステーキは非常にうまかった。キューバに来て初めて「おいしーい」と叫んだ。エンリケは日頃パンと豆しか食べていないらしく、肉を見ると少年のような顔をして食べた。この男いったい年はいくつなのか。やせ細っていていい食事をしていないことは確かだ。こんなにおいしそうに食べる人を見るのは久しぶりだ。彼は皿に5cmの骨だけ残した。ライスもサラダもみんな食べてにっこり笑った。朝からおどおど私の後ろばかりついてきてたのに、彼はナプキンで口をぬぐうと「どうだい、ここはうまいだろう。」と偉そうに反り返った。

私は今日のお礼に5ドル渡し、洗濯したTシャツとタオルのハンカチと日本の石鹸をあげた。

翌朝はまた雨だった。またラファエル先生のところで1時間サルサレッスンをして、空港へ向かった。

昨日のエンリケが私のTシャツを着て、私のハンカチをもってホテルの前で雨に濡れながら立っていた。

「今度はもっとたくさん石鹸をもってくるわね。」

(キューバでは質のいい日本の石鹸が喜ばれた。)

ページトップへ

キューバの一日は音楽で始まり,サルサで終わる

キューバのお楽しみは夜10時に始まる。滞在中に私の訪れたライブハウスはCasa de la Musica, Cafe´ Cantante, Cafe´ Jazz, Casa de la Trova, Patio Los Dos Abuelos , その他無名の店いろいろ。どこへ行ってもいい音楽がある。もミュージシャンはうまい。それがビール一杯かあるいは$5のチャージで聞けるのだからうれしい。毎日得した気分になる。そして音楽のあるところには踊っている人がいる。

ハバナに戻ると、またサルサ。ポトポ先生と1時間レッスン、その後タクシーをとばしてヤンニ(ハバナナイトのダンサー)の家でレッスン。彼のラジカセが壊れていたので練習にならならなかったが、キューバ人の家の中を覗いてきた。夜はリカルド君の演奏を聞きに行く。

私はゆっくり休日を過ごすためにキューバに来たのに何でこんなに慌しいの。民宿に泊まったのでホテル代が浮いたが、その分はすべてキューバ音楽とサルサに費やしてしまった。ここでしかできないことだから。

ドイツ人もイタリア人も踊っている。キューバ人の14歳の男の子は飲み物も注文しないで超高度なステップを踏みつづけている。

サルサ、サルサ。サルサを踊って騒いでいると食事することも忘れてしまう。イモと米と豆の生活でもいい。若者達が踊っている限り、痴漢も強姦もない。キューバで暴動は起こらないだろう。踊っていれば平和なのだ。

それでドルを稼ぐことができれば、それでいいのだ。こんな楽しい国はまた来なくてはいけない。

私が国連事務総長に就任したあかつきには、タリバーンと北部同盟の兵士達をキューバに招待しよう。

朝までサルサを踊らせたらもう戦う元気がなくなるから。踊っているほうがずっと楽しいんだから。

次回のアラファト委員長とシャロン首相の会談はハバナでやってもらう。会談の前にサルサの特訓をしてあげて3時間のダンスパーティーをやるの。

「パレスティナの土地の問題ね。うん、この辺に境界線をひいておこうじゃないか。それよりさっきのステップね、回転する時どうやって女をリードするんだったけ。ウノ、ドス、トレスだろ・・・」

ローマの皇帝が言ってたでしょ。市民を治めるために「パンとサーカスが必要」だって。パンばかり求めるから顔が変になるのよ。サーカス、音楽、ダンスを知らない人は食欲と性欲だけで終わってしまうのよ。

私はただの添乗員でないのだ。旅行をしながらいつも「世界平和」のことを考えているのだ。平和でないとこの「商売」が成り立たないのよね。

サルサのステップが上手になると「明日9時に〇〇で踊ろう。」とか「10時に××に行くけど一緒に行こう」とお誘いがある。キューバではもじもじしている美人よりも踊ってるブスの方がいい。お金のない若い娘よりもビールをおごってくれるオバサンの方がいい。

みんなに愛想よく「OK」と答えていたが、最後の晩は誰とどこで約束したのかわけがわからなくなってしまった。

それで一人寂しくジャズの店に入った。ヘミングウェイの好んだカクテル、モヒート(ラムとレモンジュース、ソーダにミントの葉を入れたカクテル)を飲みながら聞いたジャズがまたすごかった。

トランペット3人、キーボード、ドラム、ベースに加えてアフリカの太鼓や珍しい楽器が登場するアフリカ風味のジャズ。これがアフロジャズ。

ピカソのような坊主が歌いだす。

モヒートをもう一杯。私はもうニューオリンズなどに行きたくないわ。

12時過ぎに帰宅したが、ご近所ではサルサの音楽がまだ鳴っている。キューバでは毎晩深夜でもどこかの家からサルサが聞こえていた。民宿ではおばあさんが朝は7時にサルサの音楽で腰をふりながらコーヒーを入れてくれた。

キューバの海辺でのんびりカリブ海を眺めながら、「老人と海」を読むはずだった。30年前に買って紙が茶色になった英語のペーパーバック「Old Man and Sea」を毎日持ち歩いていた。まだ3ページしか読んでないのにキューバの旅は終わってしまった。

近所のおじさんのトラックで空港へ向かった。

「ねぇねぇタクシーなら$12だけど、$10で空港へ行ってくれる?」

最後は古いアメリカ車で空港へ行きたかったけど、おんぼろトラックでエンディングというのは、ああ・・・

キューバでは白タクは厳しく禁止されているので一般の方はご遠慮ください。

2006/01/01記

コメントは受け付けていません。

犬ギャラリー
ドックギャラリー
ランキング参加中 にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ
にほんブログ村